吉川忠英さんは、健在
中川イサトさんの訃報から我が心の師匠吉川忠英さんはいかがなものかちょっと心配してネットでHPやFacebookをチェックしてみた。
アコースティックマガジンでスタジオ日記として連載されていた頃は近況も知ることができて季刊ながら元気に活動されていることも知ることができたが内容が刷新されてからは、ご無沙汰でとかく忘れてることも多い。
ネットで検索していたらリットーミュージックから出されている「ギターマガジン」の5月号にインタビュー記事が掲載されていることがわかり早速買いに出かけた。70年代、80年代の歌謡曲特集でギターマガジンだから譜例とかもエレキギター・ロックギターの視点から見た内容が多いが、当時のアコギにおけるスタジオワークの第一人者我らが吉川忠英師匠が当時の業界の様子とか関わった作品とかインタビューに答えている。まだまだその健在ぶりが見て取れる。
歌謡曲がちょうどニューミュージックの影響を受けて編曲家が書き上げたアレンジではなくミュージシャンによるいわゆるヘッドアレンジの手法を取り入れ始めた頃でとにかく参加した楽曲は質も量もすさまじい。
50歳を過ぎてからライブ活動も精力的にこなしていたが最近はコロナの関係か北海道にはあまり来られていないのかなとも思う。
忠英さんがスタジオから飛び出して地方へライブに飛び出した2001年から毎年のように妻といっしょに会場に出向いていた。
2002年のサッカー日韓ワールドカップの時は、ベッカムが来ていた札幌での日と日本の予選リーグ突破が掛かった日の芦別で行われたライブを2回拝聴し、さすがの忠英さんも少ない観客の中での演奏だったが、自分にとってはひじょうに思い出深い。
この頃一人旅でツアーに出ていったそのアグレッシブさに感化されて40歳になった自分も負けてられないとライブ活動を始めたものだった。(仕事にかこつけて長続きしなかったが…)
自分としては、弾き語り調のギター伴奏におけるツボを押さえた音使いと歌を引き立たせるバッキングがとくに秀逸でソロ作品も含めて本当に多くの影響を受けている。
1947年生まれだから御年75歳。だけどテクニックは衰えを知らない。
酒はけっこう好きだし、体に気を付けてこれからも元気でプレイしてほしい。
今年あたりは、北海道ツアー実現しないかな?待ち遠しい。


